細川店長のつぶやき日記
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12月1日のつぶやき
12/1(Fri)

「禁煙セラピー」のアレン・カー氏死去

昨日の夜、こんな訃報を聞いて正直驚きました。

世界30カ国以上に、禁煙クリニックを開設し、禁煙活動家として世界中で講を続けていたアレン・カー氏の死因は肺がんでした。

享年72歳。
まだ亡くなるには早い年齢でのご逝去でした。

アレン・カー氏はその昔、1日に100本吸っていたヘビースモーカーでしたが、83年に禁煙に成功し、自らの体験を基にした著書「禁煙セラピー」を発売、瞬く間に130万部を突破するベストセラーとなり、世界中で2500万人以上を禁煙に導いたと言われています。

そして現在も世界に点在する氏の禁煙クリニックでは年間45,000人以上の患者さんの禁煙を成功させているそうです。

ちなみに私も読みましたよ「禁煙セラピー」

これね↓
 

でも私の場合、この本で禁煙できた訳じゃないんですよね(笑)

既に禁煙して1年以上経ってから興味本位で読んでみたんですが、煙草の本質と危険性そして依存性を謳った内容になっていて、我慢とか根性論では煙草は止めれませんよーって内容がつらつらと書いてあります。

で、終局的には「煙草を吸う事ってあんまし意味ないんとちがうの?」っていうところに意識を持っていくための構成になっとります。

つまり、読めば誰でも止められる本ではなくて、止めたいんだけどきっかけや踏ん切りがつかなくてダラダラ吸い続けてる人の背中をポンと押して禁煙の意識を高めてあげる・・・そんな禁煙マニュアル本て感じです。

この本を読んで煙草をやめられる人はやめられると思うし、やめられない人はやめられないと思う。

私的な意見としては微妙なところでしょうか?

いかんせん既に禁煙に成功しちゃってから読んだので、今ひとつピンとくるものはなかったんですよね。

え?それならお前はどうして止められたんだって?

それは・・・ですね・・・
ひたすら「我慢」
これにつきますな(笑)

禁煙セラピーの中では否定されてましたけどね。
それでも私はこれに尽きると思います。

喫煙者にとっての一服は生活の一部として習慣化しているものですから、「やめよう」っていう強い意志がなけれぱ絶対にやめられるものではありません。

私の場合は、たまたま身近な人に煙草がダメな体質の人がいて、私はその人と心地よく過ごす時間のほうが大切であったために脱・煙草が必要だったんです。

ただそれだけのこと。

私は他人を犠牲にしてまで己の快感を得ようなどとは思いませんから。

人間、自分の為だと甘えが出ますけど、人の為なら意外と頑張れる生き物なんですよね・・・っていうか私自身はそう思いますョ。

ま、それは置いといて・・・

このニュースを知った愛煙家の方の中にはまるで鬼の首を取ったかのように「禁煙しても肺がんで死ぬんだから元も子もない」「結局禁煙なんて意味がない」という安直な意見を晒す方もおられるようですが、私的にそれはちょっとどうかなと思う。

まぁ、普段、愛煙家の方は片身の狭い思いをされているでしょうから、たまには揚げ足も取りたくなる気持ちもわかりますけどねぇ・・・。

アレン氏はたまたま肺がんで亡くなったというだけのことですよ。

ひょっとしたらそれまでの喫煙による肺のダメージがずっと蓄積していたのかもしれませんしね。

現実問題として煙草と肺がんの関連性に関しては、どこからどこまでが正しいのか科学的な検証や線引きも出来ていないまま悪か善かの両極端に立った議論が飛び交っているだけであまり有益なものは無いようにも思います

肺がんとの因果関係はいずれにせよ、1日に100本も煙草を吸っていたアレン氏が禁煙をしていなければ、少なくとも肺気腫やCOPD(慢性閉塞性肺疾患) にはなっていたことでしょう。

それにしても禁煙活動の旗手が、よりによって肺がんで亡くなるというのも皮肉な話ですよね。

アレン氏の死去によって煙草のあり方についての議論がまた過熱しそうな雰囲気ですが、社会の禁煙化が加速している今、最も問われるのは喫煙者のマナーであって、煙草が絶対悪であると弾劾する嫌煙活動というのは正直お門違いだとも思います。

吸いたくて吸っている人はそれでいいと思うし、煙草が絶対悪であると言い切れない部分もあることはあるんですよね。

でも、喫煙とは望まずとも、自分の吐き出した煙を不特定多数の人に対し無造作に撒き散らしてしまうわけですから、ほんの少しの気配りと優しさがなければ嗜むべき物ではないと思う。

むしろそうした心配りの出来る人であれば煙草がダメな人ともうまくやっていけると思うんです。

私もHP上で煙草はやめたほうがよいと公言してる手前、この手の話に首を突っ込むと愛煙家vs嫌煙家みたいな図式で語られがちなので、あまり深いところまで言及するつもりはありません。

目くじらを立てて迫害するのもエゴ。
己の欲求だけを満たすのもエゴ。

どちらか一方だけを取り立ててれば、軋轢を生じるのが世の常です。

「和を以って貴しとなす」

かの聖徳太子が記してくれた日本人の持つ最高の美徳。

しかし今の日本では生活が豊かになるに比例して、そういう暖かい気持ちの部分がどんどん貧しくなっているような気がします。

妥協を強制するつもりはありませんが、己の主張ばかりをゴリ押しする前に、お互いを尊重し合える社会の構築を考えてほしいものですよね。

我々の次の世代の子供たちが健やかに育っていける環境を造っていけるのは私たち大人でしかできないのですから。
。。